今回は皆さんのご存知の『亀の子たわし』と、その発明者である
西尾正左衛門さんのお話をご紹介致します
私は数年前にこの話をテレビで見て知りました。
亀の子たわしが発明されていなければ、もしかしたら私は
生まれてなかったかもしれないと、衛生について今まで以上に
考えさせられたお話しです。
「台所からの衛生革命で日本人の命を守れ」
男性42.8歳、女性40.3歳。
今から100年前の日本人の平均寿命である。
当時の日本は文明開花に続く経済発展のにぎわいの裏で、
コレラや赤痢等の伝染病が蔓延し、多くの新生児が亡くなる等、
国民の衛生的な生活が脅かされていた。
病気の温床となっていたのは台所
当時の日本では食器を洗う習慣があまりなく、伝染病が
発生しやすい状況にあり、台所の清潔革命が急がれていた。
後の水道の普及が衛生面改善への大きな力となるが、
もう一つ忘れてはならないものがあった。
それは西尾正左衛門が発明した亀の子たわし。
この革新的な商品はベストセラーとなった。
しかし、それは余りにもすぐれていたため、
大きな黒い陰謀に付きまとわれてしまうことになる。
大正4年。
壁の時計が時を刻む会議室に、落ち着きのない二人の男、
西尾正左衛門と番頭の杉野。
そこへあるホーロー会社の社長が政治家と弁護士を連れて入ってくる。
亀の子たわしを発明したとき、西尾は特許を取っていなかった。
さらに製造販売の権利も期限切れ間近だった。
そこにつけこんだのは亀の子たわしの類似品を作っていた
大阪のホーロー会社。
期限切れと同時に、西尾が持つたわしの権利を奪おうと、
有力政治家や弁護士を引き連れ
話し合いと称する脅しにかかってきたのだ。
相対する西尾は真面目を絵に描いたような寡黙な男。
話し合いは西尾側が劣勢のうちに幕を開けた・・・
「亀の子たわしは特許がない。さらに保有されている権利も
もうすぐ期限切れとなる。
当方としては西尾商店が持つ製造販売の権利の無効を求め、
荒物業界の零細企業活性化のために、こちら側に権利を明け渡すべき
と主張する。」
「現に、多くの署名が集まっている。国も無視するわけにはいかないと
思いますが」
西尾正左衛門は、ただじっと相手の言い分を聞いていた。
もともと西尾は足ふきマットを制作していた。
西洋化の波によって草履や下駄が靴に代わる時代が
やってくると見込んでの事だった。
しかし、西尾正左衛門のマットの売り上げは思うように伸びなかった。
家には売れ残ったマットや材料があちこちに置いてあった。
(写真:足ふきマット)
そんなある日のこと。
正左衛門の妻、ヤスが庭先で障子の掃除をしていた。
それを見て表情がこわばる正左衛門。
ヤスが手にしていたのは、足ふきマットの部品であった。
「すみません。マットの棒が余っていたので、もったいないと思い
拝借しました。でも、これでこすると、汚れがとてもよく落ちるし・・・」
正左衛門が実際にマットの部品で障子をこすると、汚れがよく落ちた。
当時のたわしといえば、わらを束ねたものが主流だったが、
2、3度使うと繊維がほぐれて使いものにはならなかった。
(写真:当時のたわし)
脂っこい洋食も流行り出していたため、いずれ丈夫で
長持ちするたわしが必要になると考えた西尾は、足ふきマット用の
シュロの繊維で、たわしの開発を始めた。
それから1年かけて、水に強く丈夫で長持ちする素材を探し、
さらには台所で働く女性が使いやすいように、女性の手のひらに
収まる大きさを研究した。
その結果、材料はセイロン産パームヤシの繊維に決まった。
そしてこの商品を発売するにあたって、正左衛門は売り方にもこだわった。
それは、たわし20個を針金でまとめ、それを店の軒先につるす
という陳列方法。
これが人目を引き、西尾の亀の子たわしは売れ始めた。
しかし、同時に他社が制作する類似品も世に
出回り始めることとなってしまう。
その結果、他社から様々な要求を突きつけられる会議に
出席する羽目になってしまったのだ。
会議でだまり続けている西尾正左衛門の代わりに番頭が言葉を返す。
「完成させるまでに、2年の月日がかかりました。本当に寝食を忘れて取り組んだ2年でした。たとえ、百歩譲っても権利を明け渡すことはできません」
ホーロー会社側は弁護士や政治家を味方に引き入れて、権利を奪取するまで、諦める気配は見られまでした。
「私は1人の政治家として、常に業界全体の発展を考えなければならん。
その立場から言わせてもうらうが、君が亀の子たわしの加盟の
販売を独占するのは、我が国の経済の発展の観点からしても、
実にばかげたことと思わないかね」
一方の西尾商店側は、洋食店のシェフにたわしの実演をしてもらい、
西尾の亀の子たわしが、他のたわしよりも、いかにすぐれているかを
示した。
当時は赤痢やコレラ等の伝染病が流行して恐ろしい数の
新生児が亡くなっていた。
伝染病は家屋や食べ物の不潔な状態を原因として発生していた。
それまであまり食器類を洗う習慣がなかった日本で
伝染病を防ぐためにも、台所からの衛生改善が急がれていたのだ。
しかし、ホーロー会社側は、正左衛門の言い分を全く聞き入れなかった。
「衛生っていったい何の話をしているんだ」
「そうだ。衛生ではない。これは経済の問題だ」
「ばかばかしい、もう終わりにしましょう」
と、一方的に会合を打ち切って立ち去ろうとした。その時それまで
一言も発していなかった西尾がこぶしを机にたたきつけた。
「金儲けでたわしを作られてたまるか。あなたがたは
日本国の庶民の台所を知っていますか
日本人の健康が守られて、それからこの世に生まれた
子供たちが、十分な衛生状態の中で健康に暮らせること、
私はそのために亀の子たわしの品質を守らなければならない。
暴利を貪ろうとしているのは、私ではなく、あなたたちではないか」
この話し合いからほどなくして、政府は亀の子たわしに特許を認めた。
誕生以来、100年。今も亀の子たわしは発明当時そのものの姿で、
年間6,000,000個、世界30カ国に輸出されていいる。